鉄ちゃん時代

 『how to make せんべぇ』、なんか拍手の数が36に43と異常に多いんですが… これは、『もっと書け』という激励なのか?あるいは普通の記事が面白くなくて、拍手してくんないだけなのか? 筆者としては真剣に悩むところ

 というわけで、第3回です。
 旧庄和町から隣の春日部市に引っ越してしばらくした頃から、私の興味の対象が鉄道に移ってゆきました。きっかけは何だったんだろう?気がつけば鉄道ファンやっていました。ちょうどブルートレインがブームになっていたころで、中学校にも鉄道好きの奴が結構いて、日曜日に友達の家で模型を作ったり、一緒に電車に乗りに行くようになりしました。
 高校時代には、一人または友人と泊りがけで出かけるようになり、高1の夏休みには初めてユースに泊り、一緒に行った友人が罰ゲームで踊らされるのを見るという“恐怖の体験”も味わいました。しかしあの頃のユースのノリは、俺にはちょっと厳しかったです

 そして高2の夏休みに、初北海道旅行に!夏休み前から計画を練りに練って、意気揚々と青函連絡船で函館に上陸すると…
 昭和56年8月の水害直後で、列車が全部止まっているではありませんか とりあえず動き始めた鉄道やバスを乗り継ぎ、北広島のいとこの家に転がり込んで、1週間ぐらい居候させていただきました。その後、線路の復旧とともに旅行を再開して、廃線になりそうなローカル線を中心に、道内あちこちの鉄道に乗りまくります。

どっか?の駅←こんな風景を見たくて北海道へ来ました。

 この旅行、予定はぐちゃぐちゃになって、毎日『明日はどうしよう』ということの繰り返しでしたが、これがとても楽しかった~ ますます鉄道好きがヒートアップして、ついには国鉄就職を目指すようになりました。伯父の知り合いに山手線の駅長さんがいたので、お願いして会う場を設けてもらい、コネクションを作るほどの気合。やる気満々で高校3年生になりました。
 続く。


チワワ (2010年05月18日 17時18分)
面白いです~!!「もっと書いて」パチパチ。

マメスロウ見ましたよ。7P全然オッケーです♪

せんべぇ(2010年05月18日 22時21分)
ありがとう!チワワさん。
あなたの応援が、俺の心にさらなるプレッシャーを(笑)
頑張って書きま~す
そうそう、マメスロウの製作者S氏から今日お葉書をいただきました このブログを読んだらしくて、ちょっと恥ずかしい…

情報システム部 (2010年05月18日 21時55分)
ブルートレインブームって結構凄かったらしいですね。
東京駅や上野駅がカメラを持った人で溢れていたとか。

北海道では、今は廃線になったローカル線や青函連絡船が
まだあったのですよね。

こんな時代に旅をしてみたかったなと羨ましく思います。

ところで、当時の士幌線には乗られたのですか?

せんべぇ(2010年05月18日 22時32分)
結構いましたねぇ、鉄道ファン。
夏休みになると、北海道ワイド周遊券(21日間有効)を使って回る人達で、急行八甲田とかめちゃ混みでした。
通路にも座れない時があったけど、今思えばそんなことすらいい思い出です。
完全に1世代若い、システム部長殿にはうらやましいでしょ
ちなみに士幌線は、大学生の頃に一回だけ乗りました。

初めてのひとり旅

 how to make せんべぇ なんか拍手の数が多いんですが
 ちょっとビックリして、変にプレッシャー せんべぇの人生なんて、『なんかダラ~と生きてきたらこうなっちゃいました』的な流れなんで、情熱大陸みたいな展開を期待してもムリだからね~。
 というわけで、2回目は小学生時代です。

 1年梅組、出席番号1番
 これがせんべぇの小学校生活の始まり。梅組って、しかもおれは“し”から始まる名字なのになぜに1番?
 最初に通った庄和町立川辺小学校は古い学校で、クラス編成が松竹梅(桜)、出席番号は生年月日順でした。母の話では、入学式に行って出席番号が生年月日順とは思わず、息子の名前が見つからなくてパニックになった(笑)そうです。

 この庄和町時代に私の初ひとり旅を体験しました。といっても、きっかけはしょーもない理由 小学2年生の頃、プラモデルが大好きだった俺は、親に買ってきてもらったプラモが頼んでいたのとは違ってキレてしまい、『そんなら自分で取り替えてこい!』と言われて、売り言葉に買い言葉でとなり町まで出かける羽目に。晴れた日の午後“東武野田線”に乗って、春日部のローヤル模型(まだあるのかな?)まで行ってきたのを今でも鮮明に覚えています。
 今思えば、きっとこれが大人になったようで楽しかったんだろうね。弟や友達とだんだん遠くに出掛けるようになって行きました。


がちゃ@東京 (2010年05月13日 22時44分)
すごく、立派な学校じゃないですかぁ!
http://www.kawabe.av-center.kasukabe.saitama.jp/
って、H15にリニューアルしているですねぇ。
ローヤル模型さんも残っている模様。。。
偉人の足跡は残っているんだなぁ。。。

せんべぇ(2010年05月14日 19時01分)
川辺小、立派になっていましたね。俺の頃は転入生がどんどん増えて行く時期で、運が悪いとプレハブ校舎でお勉強なんて時代でした。今は立派すぎるのでは?とうらやましく思うくらいです。
それにしても、がちゃさんが書いてくれたおかげで、35年ぶりぐらいに川辺小学校の校歌を見ることができました。ありがとう

元春日部市民のタンセン (2010年05月16日 12時28分)
ローヤル模型懐かしいですね。

親父さんの顔が浮かびます。
私も、あそこでHO買いました。
その近くに「おづつみ園」とありましたね。

せんべぇ(2010年05月16日 23時08分)
僕はもっぱらプラモデルとNゲージでした。俺のおこずかいの半分以上はローヤル模型に貢いだと思います。
おづづみ園は西口に引っ越したみたいですね。ぬかびらに来てからもときどき実家からおづづみ園のお茶が届きます

ぬかびらまでのお話をします

 ユースホステルをやっていると、お客さんに良く聞かれる質問があります。それは、『どんなふうに開業したの』といった内容。北海道内のユースのペアレント(宿主のこと)は、本州出身者の元旅人が多く、それぞれに気に入った場所で宿屋をやっているせいでしょうか?お客さん側も旅好きな内地の人が多いので気になるみたいです。
 で、まあその場の雰囲気でテキトーなことを言ってるんですが、『どっかで一回今までの経過を書いておこうかな?』とは考えていました。かといってHPで仰々しくやる内容でもないので、まあこのブログでネタのない時に少しずつ書いて行こうと思います。
 というわけで、生まれてからぬかびらで宿を始めるまでを“せんべぇの作り方”というタイトルでやってゆきますねぇ。ちなみに、全く実用的な内容はありません。ゴメン、ご了承ください。

4歳ごろのワタクシ。

 自分は1964年(昭和39年)、埼玉県に生まれました。つーことは、もう46歳。人生の残りを数えた方が早い時期ですなぁ
 せんべぇ家はサラリーマン家庭で2人兄弟という、本当にどこにでもあるような典型的な戦後日本の家族です。とは云いつつも、父親が種苗会社に勤めその社宅に住んでいたので、家の周りは会社の野菜畑だし、おやじは耕運機を動かしているイメージなので、小学校のころまでうちは農家だと思っていました。
 まあ、こんな始まりだったのに、なぜ今ぬかびらにいるかは、おいおい書いてゆきまーす。ヒマなら読んでくれ。


べんけい (2010年05月11日 07時20分)
ワクワク

せんべぇ(2010年05月11日 22時47分)
 期待してくれる人がいたとは嬉しいです!
 ブログも始めて約1年。ちょっとマンネリしてきたので新コーナー作ってみました。ネタがなくって、かつ暇な時にだらだら~と書いていきますね。

なんちゃってフルムーン (2010年05月11日 21時07分)
どうも地図を見ると生粋の春日部っ子ではないような気が…。
気のせいかしら???
な~んだ、元は私と同じ‘町民’じゃないですか。
私は未だに町民で頑張ってますよー。
私が誰だか覚えてくれていれば、の話(^^ゞ)

これからも楽しみ♪ 『せんべいの焼き具合』!?

せんべぇ(2010年05月11日 22時53分)
 あっ!ヤベぇ、ばれた
 まあいいじゃないですか、もう合併して春日部市になったことだから。大目に見てね、S岡町民さん

元春日部市民のタンセン (2010年05月11日 23時19分)
南桜井は、リズム時計とか当時ありましたね。

私は、川向こうの東中に2年までいました。(笑)

せんべぇ(2010年05月12日 21時43分)
リズム時計!懐かしぃ~。今はもうないんでしょうかね?
今度実家へ帰った時に、南桜井を探検してみたいです。
昔の名残は残っているのかな。

やま (2010年05月12日 10時29分)
写真、今とあんまり変わらない・・・
いつまでも若々しい・・・かも?

せんべぇ(2010年05月12日 21時45分)
この写真は、父親に連れられて成田線に蒸気機関車を乗りに行った時のモノだそうです。時代を感じさせてくれるので、実家から持ってきてスキャナーしました。