おしまい

 ながながと書いてきたこのコーナーも最終回です。行きがかり上読み始めてしまった皆様、ようやく終わりますよ~(笑) 自分もまさか23回分も書くとは思わなかった
 ということで最後に番外編として、開業後の事から将来の夢まで書かせていただきます。ので、ちと長いよ。

 1996年12月に開業したぬかびらユースですが、糠平温泉にありながら温泉もなく、改装したとはいえ建物も古いということもあり、『1年持つのかなぁ?』というのが、私の予想でした しかしユースホステルに加盟できたおかげで、夏ごろから順調にお客さんが入るようになり、何とかその年を越すことができ、2年目以降はリピーターさんもついてくれて、借りたお金も順調に返すことができました。
 そして10年目の2006年に温泉の利用権を借りて、温泉ユースとしてリニューアルオープンすることになりました。ちょうどいい機会だったので、思い入れのあった建物も建て直すことに。

あんなに頑張ってくれた建物が、わずか数日でがれきの山に
お疲れさまでした、旧ユース。この建て直しの過程に興味がある方は、『ぬかびらユース新築レポート』を見てね。

 現在の建物で営業してからは4年がたちました。おかげさまで借金も返せているので、もうあとはこのまま危険な賭けに出ることなく、ダラダラと20年ぐらい営業したいものです。その間に機会があれば、“これから宿を始める”という人を育ててみたいですね そして、その人の宿が大成功したら、『あいつは俺の弟子なんだ』みたいなことを言いてぇなぁ。まあ、逆にその人が失敗して夜逃げしたとしたら、『そんな奴いたっけ』的なことを言うような男ですが、それでもよかったら、誰かうちで修業しませんお金にはならないけど、せんべぇのやってる程度のことでよければ、全部教えてあげる。ただし、開業地はうちから半径150キロ以上離すように

 そして出来れば、最後の最後に大きな勝負に出たいですね それはこのユースを誰かに売ること。願わくば、その頃(25年ぐらい先?)自分が始めた時と同じくらいの歳で、“こいつは!”という人を見つけて、譲ってあげたいです。ただこれは難しいでしょうなぁ。
 マルクスさんの言葉に『商品から金への命がけの飛躍』という言葉があるそうですが、うちのユースを売るのはまさにこの言葉通りに思えるもの。なにせ、いくら売りたくても買い手がいない限り成立しない勝負だからねぇ。今まで自分なりにしてきたつもりの勝負も、どちらかと言えばこっちがお金を出す側。つまり勝負するしないのイニシアチブが自分の側にあったけど、ユースを売るときには相手側に主導権があるような気がする そこを何とかぬかびらユースはいい宿だとだまくらかして、じゃなくって、勘違いさせて、でもなくって、ご理解いただいて、快く大金をお支払いいただかねばなりません。なにせ、この宿をうっぱらったら、せんべぇ一家にはなーんにも残らないからねぇ 老後の生活費をこの局面で生み出すほかありません。 そのためにも、これからずっっとお客さんに気に入ってもらえるように頑張って、『買ってもいいかな?』と思えるぐらいの人気はある宿にしてゆくつもりです。
 というわけで、いま小学生ぐらいのみなさ~ん大きくなったらうちを買いませんか~おじさんが高く売ってあげま~す

 おしまい

PS.how to make せんべぇ いかがでした?ご感想を聞かせてね。


nacky (2010年07月26日 23時16分)
こんばんは。気がつけば、しっかり読んでました。
頑張ってきたんですねぇ。でも何より運が強かったんじゃないでしょうか?
宿やりたいですね。
せんべぇさんの歴史みたいに読ませていただきました。
開業のころはほんと、若かったですね。お互いに。

せんべぇ(2010年07月27日 00時06分)
ホント昔から“ここぞ”という時の運は強いんです。
というより、『おまえは運だけでやってきたなぁ』と身近な人に言われたこともある
開業の頃やその前の写真みると、『自分にも若い時代があったんだぁ』と遠い目をして振りかえる今日この頃です。
読んでいただき、ありがとうございました。

栃木の黒牛ゆざわ (2010年07月27日 00時02分)
おひさしぶりです!
密かに毎日のようにブログをチェックして、一生懸命読んでましたっ!(これからも読みますよ~)
特に「砂漠のノミ」はikuちゃん共々感動した作品です。
私も今、学位取得のための博士論文の作成ですっごく辛くて、しょっちゅうikuちゃんに泣いて電話してます。
でも、ブログを読んで私も頑張ってみようと思えました!
ありがとうございますっ!またお邪魔しに行きますね。

せんべぇ(2010年07月28日 23時46分)
おおっ、栃木の黒牛さん!
あなたのような方がいてくれたおかげで、最近妙にアクセス数が増えていたんだね
他のお仕事をしながらの博士論文、大変でしょうけど頑張ってくださいね。なんだかんだ言ってもあきらめないで続けていれば、きっと上手くいくと思います。いざとなったら最後の手段で、ikuちゃんが黒牛さんを嫁にもらってくれると思うし(笑)
また会えるのを楽しみにしていまーす

トイレ君(以下、敬称不要) (2010年07月27日 00時06分)
せんべえさんの所へ行きたいものの、既に6年くらい遠ざかっているトイレ君です。今年こそは…。

私も北海道で宿を…と意気がってみたものの夢敗れ、舞い戻ってきてしまった口です。せんべえさんの一連の歴史物は興味深く拝読させて頂きました。やはり私などとは本気度が全然違いましたね。流石と言う他は有りません。

最初から最後まで唸りっぱなしの私でしたが、タダひとつだけホンのチョッピリ不満なのは、宿を計画し、始め、経営して行く過程でお世話になった人々の事が(感謝を込めて)こと細かに書かれているにも関わらず、一番身近で支えてくれた人の事が何一つ書かれていない事です。

意識して書かなかったのだろうとは思いますが、チョット寂しい気がしました。

今年は糠平で年越ししたいと思います。

トイレ君が誰であるか、年末にそちらを訪れる(事が出来るように頑張ります…)まで、「誰だコイツは??」と頭を捻っていて下さい。

せんべぇ(2010年07月28日 23時57分)
え~、誰だろう、トイレ君ってすげー気になる。
宿屋を目指された方ですか???
『本気度が違う』などと書いていただきましたが、自分の場合はたまたま運がよく、本気に取り組めるチャンスがいくつも与えられただけだと思います。それに乗って、一段ずつ登って行ったら『あれ、こんなところまで来られた』というだけのこと。お金があれば別でしょうが、宿屋を始められるかどうかは、本人の実力以外のところで決まってしまうのが切ないですよね。
だから運良く開業した自分は、宿を目指した他の人の分まで頑張らないといけないんだろうと思います。(ちょっと恥ずかしいですが‥‥

北海道大好き@おっちゃん (2010年07月27日 00時34分)
せんべぇさん!こんばんは!私も最初から最後まで読ませてもらいましたよ。私と同年代で本当に素晴らしいと感じています。先日、会社の若い後輩に『砂漠のノミ』の話を偉そうにしました(笑)真から理解してるか分からないですけどね(汗)これからはもうあまり若く?ないのですから体調は気を付けて乗り切って下さい。次回、10月にお世話になりますのでよろしくお願いします。あ〜早く北海道に行きてぇ〜!!!

せんべぇ(2010年07月29日 00時04分)
『砂漠のノミ』予想以上に好評だったんですね
でも、自分と同じように感じていただける人がいてくれるのは、心強くもあります。これからみんなでこの話を広げて、『深イイ話』に取り上げてもらいましょうか(笑)
では、秋にまたお待ちしています。

やま (2010年07月27日 10時49分)
もうおしまいですか。
23回もありましたっけ。
YHを買いたいですが、私には資格はなさそうです。
でも先日は南の島で、別館開業候補地を探してきましたよ?

ところで、トイレ君様のコメントにもありますが、ちょっと物足りないところもあります。で、紅葉シーズンが終わって、お客さんが減ってきたら続編をお願いします!!!

せんべぇ(2010年07月29日 00時09分)
書きましたよ~、恥ずかしげもなく自分のことを23回も
『物足りないところ』ですねぇ‥‥
まあ、そういうことを書くのは苦手なので勘弁してくださ~い!
また、今回の話は自分の中で“過去のこと”ですが、開業以降は“現在進行形”なので、ちょっと無理です。遠い先にYHをうっぱらえたら、その時にでも書きましょうか(笑) 

情報システム部 (2010年07月27日 22時22分)
全23回、楽しく読ませていただきました。

苦労して(?)ユースホステルに加盟した甲斐があったのですね。

そういえば、初めてぬかびらユースに泊まろうと思ったきっかけは、前日泊まった他のユースで泊まりあわせた人からの口コミでした。(「糠平に食事の美味しいユースができたよ。」という内容でした。)

当時、インターネットは今ほど広く普及していなかったので口コミが第一の情報源でしたからね。

せんべぇ(2010年07月29日 00時13分)
いつもお世話になっている情報システム部長殿
初めて来てくれたのは確か最初の冬でしたねぇ。YHに加盟した直後に来る人は、どうやってうちのこと知ったのかな?と長く疑問でしたが、ようやく謎が解けました。そういえば以前は、直接人から人への口コミが絶大な威力でしたね。最近はネット上の口コミを読んで来てくれる人もいるようで、ここ10数年の変化を感じます。
では、これからもよろしくお願いしま~す。

栗太郎 (2010年07月28日 22時31分)
 ぬかびらは暑いですか?最初の頃2回利用した者です。順調に経営されているようで何よりです。僕が泊まった建物はもうないんですね。今は小さい子供がいてなかなか行けませんが、次回はぜひ家族で泊まりたいと思います。

せんべぇ(2010年07月29日 00時16分)
栗太郎さま
初期に来てくれたお客さまですか!
あの建物はもうなくなってしまいました。でも、現YHの談話室の床だけ、旧YHの廊下に使っていた板を持ってきました。いつかご家族でいらっしゃったときに、ぜひ見てください。もしかしたら、古い建物のことを思い出していただけるかなぁ? お待ちしています。

とし@愛知 (2010年07月29日 15時11分)
こんにちは。こっそり時々覗いていましたが最終回を迎えたのですね。
いろいろなドラマがあったようで面白かったです。

25年後は私も年を取りすぎているので買い取ることはできませんがときどき遊びにいかせてもらいますね。

せんべぇ(2010年07月29日 18時48分)
とし@愛知 さま
コメントありがとうございます。
過ぎてしまえば、我ながらいろいろあったもんですねぇ。
その当時は“なんとなく”日々が過ぎて行くばかりでしたが
これからもまたどうぞ遊びに来てね。

えみ (2010年08月06日 09時39分)
せんべいさ~ん
記念すべき100パチ目ゲットしちゃいました☆

せんべぇ(2010年08月06日 23時15分)
おや、元ヘルのえみちゃんだ~
そろそろ北アルプスにお出かけでしょうか?
パチパチありがとうね。おかげでこのシリーズ、自分としては驚異的な拍手をいただきました。
でも、終わったらブログ自体へのアクセス数が急落 う~ん、これからもみんな読んでね~。

失敗できる権利

 最後の最後まで行って、ちょっと書く間隔が空いてしまった“how to make せんべぇ”です。今回と番外編を一回書いて終わりましますね。たくさんの方が読んでくれたようで、拍手の数を見るとちょっと怖い、というか、『拍手してるヒマがあれば泊りに来いよ』というのがホンネですが、ここはオブラートに包んで、『この分が泊りに来てくれたらどんなにいいのに』って感じでまとめたいと思います。

改装終了時の“旧”ぬかびらユース。古いなりに小ざっぱりしたでしょ(笑)

 そして1996年12月21日、せんべぇさんは32歳で宿として営業を始めました。でも、最初の晩にお泊りのお客さんはわずか一人 まあ、“いただけで良し”という状態からのスタートでした。翌年の2月からは正式にユースホステルとして営業を始め、少しずつお客さんが来てくれるようになり、何とか今まで続いておりまする。まあ、明日こけてもおかしくないという状況は、いっこうに変わらないけどね

 それにしても、こける(失敗できる)立場まで持ち込めたのは本当にうれしいっ 
 宿屋の勉強の過程で上手くいかなくなって、クニに帰るという可能性はいくらでもあったけど、そうなった場合は『失敗した』というより、『チャンスが来なかった』っていう気持ちになったんじゃないかなぁ、たぶん。失敗するためには、まずスタートしなけりゃならないからね。でも運良く宿を持てて、“上手くゆくのも自分のせい、つぶれるのも自分のせい”という立場になれ、大袈裟にいえば『この店を背負って世に俺の真価を問うてやる』という気持ちで商売をはじめました。う~む、気負いすぎですな 
 いずれにしても、たくさんのことを学んで、たくさんのことを失いながらここまで来ちゃったので、あとはお客さんに楽しんでいただけるようにしながら、ぬかびらユースを何とかつぶさないようにして、二人の子供たちが大人になるまで頑張りたいものです。

 

開業前夜

 12月に入ると建物の工事もほぼ終わり、開業のための備品もそろいました。開業の一週間前には、ためしに泊ってみたいという方がいらっしゃり、試験営業もしてみました。

 そして開業予定日が近づくと、たくさんの方々からお祝いが届き始めました
 今まで書いてきたように、自分が宿をやるためにいろんなところでお世話になりながら、必要だと思った分の仕事を覚えたらあっさり次のところへ移るという、普通に考えれば自分勝手な事をしまくってきました。そんな私に皆様からお祝いをいただけるとは、正直思ってもいませんでした。なもんで、凄くうれしかったです ホント、ここまで来れたのは『いろんなことに恵まれていたんだな』と気づかされた一瞬でした。
 糠平の人たちからもお祝いいただき、(ほとんど飲まない俺なので)調理用に使っていったら、無くなるまでに1年以上かかるぐらいお酒をもらいました。最後に使っていたお酒、たぶん酢に近かったんじゃないかなぁ


がちゃ@東京 (2010年07月14日 23時00分)
開業おめでとう!! ( ・_・)。∠※PON!。.:*:・’°☆。.:*:・’°★°’・:*

せんべぇ(2010年07月15日 00時13分)
ちょっと、はやっ(笑)
次回はまさに開業のことなんだけど、なんかうまく書けずにおりまする。いっそこのコメントをいただいたことだし、how to makeせんべぇは終了しようかなぁ。

やま (2010年07月15日 09時47分)
いやいや、まだまだ。そんな簡単には終わらせません!

奥さんとの出逢いとか、いろいろ聞きたいこともあるし・・・

せんべぇ(2010年07月17日 14時10分)
厳しいっすね~
でも、さすがにうちも忙しくなってきたんだよ~。もうあと1回ぐらいで勘弁してください

改装工事

 さて建物の方ですが、『とりあえず屋根が飛んだところだけでも修理させてくれ』という大工さんのもっともなご意見(笑)により、まだユースになれるのかもわからないまま見切り発車してしまいました。

 敷地内に立っていた古い住居?を壊し、ぼうぼうの草むらをきれいに刈り取ると、意外に小ざっぱりしてきました。

まずは屋根からということで、屋根の板金だけ張った頃。

 朝晩は大雪グランドホテルでバイトしながら、日中は現場に顔を出したり、お金を借りる手続きをしたり、備品をそろえたりと、追われるような毎日でした。つーか、立ち止まったら不安で押しつぶされそうなので、もう開業した後の心配は横に置いといて、とりあえず12月下旬に店を開けられるようにすることだけに専念していました。大雪さんも10月で辞め、11月にはユースホステルの経営者になる講習会も受け、ついでに関東の友人たちに報告して糠平に戻ってきました。

その頃にはとりあえず一部屋だけ住めるようにしてもらいました。

 『ランチョ・エルパソ』や居酒屋『蔵』の皆さんにも、業者さんを紹介してもらったり、使っていない調理器具や食堂のテーブルをもらったりと助けていただきました。また以前書いたようにトマムの民宿オーナーからは布団や食器を格安でもらい、そんなものをまだ出来上がっていない館内に運び込んでゆき、なんとなく宿っぽくなりながら秋が終わってゆきました。

 ということで、開業まであとひと月弱です。なもんで、このコーナーもあと1,2回書けばいいのか~ なんとか繁忙期前には終われて、せんべぇ心からホッとしております。


びーご (2010年07月08日 21時44分)
先週はお世話になりました。
ルピナス十分満喫出来ました。
せんべぇさんオープンまでも大変だったのですね。
同年代の自分も頑張らねばと思います。

せんべぇ(2010年07月08日 23時51分)
びーごさま
こちらこそご利用ありがとうございました。
今年のルピナスは、春先の低温の為『大丈夫かな~』と心配していましたが、ちょうどびーごさんがいらっしゃったときに見ごろになりましたね 満喫いただけて、自分もうれしい限りです。
宿のオープンまでは本当にいろんな人に助けられ、運が良かったです。せっかく商売をはじめられたので、娘が成人するまでは何とか“つぶれないようにしたい”ものです。って、志が低すぎですかね

そうだ!ユースになろう

 突然ですが、みなに言って置きたいことがある。
と、なんか強気な出だしですねぇ 大したことではないのですが、なんかこのテーマを読んでくれている方々の中に、せんべぇを過大評価、というかすげー奴だと勘違いしてる人がいようです 昨日も商工会に行ったらTさんに『読んでるよ~。凄いね~。』と冷やかされました
 ちょっと現実の自分と、ブログ上のイメージが乖離し始めている気がして、怖い

 さて、自分の建物を手に入れたせんべぇとしては、“どのようなお客さん向けの宿をするのか”というのが次のテーマになりました。
 ハードのことを考えると、改装はするにしても古い建物、しかも温泉がない。という条件は糠平温泉街の他のお宿と勝負するには厳しいものがありました。また私の“夢”としては、昔の自分がそうだったように、“お金がないけど旅行好き”な人たちを泊めたいというものでした。そこで、学生時代に使っていたユースホステルに加盟しようと目論みます。ちょうど近くにはユースホステルがない空白地だったので、すぐに認めらるかなと考えていました。さらには、加盟すれば会員さん向けの新聞に新しいユースとして紹介してもらえるので、宿の存在を知ってもらうのにも有利だしね。

ユースホステルの看板
これさえ掛ければお客さんは続々来る”はず”でしたが‥‥

 最終的には開業するにあたってユースに加盟するのが一番苦戦しました。もう、『一時は無理かと思ったよ。』っていうくらいでしたが、このときもまた役場の方をきっかけに突破口が開けて、何とかユースホステルにしてもらえました。

“たぶん”最後の宮仕え

 さて、糠平に引っ越したはいいけれど、“我が家”は前回書いたような状態で、住むには少しだけ不便な状態です。また、開業を12月に予定しているので、その間無収入なのも困ったもんです。そこでまたまた役場に相談に行くと、当時一番大きなホテルだった大雪さんなら、どっか部屋が余っているかもよ。と、『大雪グランドホテル』(下図)の支配人さんを紹介してくれました。
 さっそく『一時的に住むところを貸してくれませんか』と厚かましくもお願いに行くと、快く二つ返事でOKしてくれました。ラッキーと思い、さらには厚かましくも、『バイトさせてください』と頼むと、これまた二つ返事でOK。ええっ、いーのかなぁ?そんな簡単に決めちゃって まあ、自分は大変助かりましたけど。

 というわけで、(今後ユースが倒産しなければ)最後の宮仕えが始まりました。部署はフロントということで、十勝川のホテルでもやったことがあるから、仕事的には馴染みのあるところで安心して働きはじめました。フロントの仕事なので、朝と夕方は忙しいけど、昼間にゆっくり休みがもらえるので、その間に大工さんと打ち合わせしたり、お金を借りる算段をつけたりと、いろんなことをやっていました。結構時間的には忙しかったはずだけど、気持ちが乗っているので苦にならないどころか楽しかったですね
 そのうち現ガイドセンター代表の河田さんに頼まれ(脅され?)て、ネイチャーウォッチングという自然観察ツアーのガイドまでやらされる始末。もう何が何だか分からなくなりながら、夏が過ぎて行きました。


aimee-hoku-mahina (2010年07月05日 17時54分)
素敵ぃぃぃ〜o(*≧д≦)o〃
何て素敵な人生なんでしょう☆

せんべぇ(2010年07月05日 23時26分)
え~、なんか勘違いしてるよ~、aimee-hoku-mahinaさん。
なんとなく運に恵まれて、ここまで来ただけなんですよ。だから、そんな風に書かれると恥ずかしい

aimee-hoku-mahina (2010年07月07日 23時35分)
運に恵まれた、人に恵まれただけでも素敵な人生じゃないですかっ!

せんべぇ(2010年07月08日 23時53分)
その通りかもしれませんねぇ。このまま何とか無事に老後を迎えたいものです。

全然OKです

 間に立ってくれた所有者のご親族のTさんから、『民宿谷崎』を譲ってもいいというお話をいただき、まずは一緒に建物をのぞかせてもらうことにしました。

 『結構痛んでるよ~』
 『全然OKです』
 『ここはカーペットの下の畳腐ってるね』
 『全然OKです』
 『去年の秋、屋根が一部壊れてね』
 『全然OKです』
 『この部分なんだけど‥』

 『全然‥‥‥‥、OKです』

 というような状況ですが、こっちはお金がない立場、ハナから立派な建物なんかもらえるとは思っていません。むしろTさんが凄く気を使ってくれるのが申し訳ないくらいで、結局建物はタダ、土地代として良心的な金額を提示してもらいました。もうこの辺から冷静に損得やリスクを考えるのはいったん停止して、行けるところまで突っ走ることにしました。
 せっかく入った居酒屋『蔵』さんも、わずか3カ月で退職。蔵さんにはホントご迷惑をおかけしたと思います。そして5月には土地の売買契約を済ませました。(と思います。すいません、記憶が…) 同じころ、糠平舘の社長さんに声をかけていただき、旅館組合の懇親会に出させてもらい、同業者の皆様にご挨拶。←これ、すげー緊張した

 そして改装工事をしてくれる大工さんを探しはじめます。しかし、最初は皆さんやる気満々なのですが、現地を見るとなぜか(笑)腰が引ける状況。やはり上の画像ではねぇ そんな中、ようやく4件目に話した『熊倉組』の社長さんが(たぶん同情して)引き受けてくれることになりました。そして他の段取りもある程度めどがついたので、1996年の7月に上士幌町糠平へ引っ越してきました。


がちゃ@東京 (2010年07月03日 18時07分)
ふぅ~む。話には聞いていたけれど、
ホントにすごかったんですネェ。。。

このお部屋に何泊したかなぁ。。。。

せんべぇ(2010年07月03日 22時38分)
このお部屋(キタキツネ)ねぇ(笑) ほんといつ崩れるかとひやひやしながら商売していました
何とか切り抜けられて良かった、というのが偽らざる本音で~す。