“たぶん”最後の宮仕え

 さて、糠平に引っ越したはいいけれど、“我が家”は前回書いたような状態で、住むには少しだけ不便な状態です。また、開業を12月に予定しているので、その間無収入なのも困ったもんです。そこでまたまた役場に相談に行くと、当時一番大きなホテルだった大雪さんなら、どっか部屋が余っているかもよ。と、『大雪グランドホテル』(下図)の支配人さんを紹介してくれました。
 さっそく『一時的に住むところを貸してくれませんか』と厚かましくもお願いに行くと、快く二つ返事でOKしてくれました。ラッキーと思い、さらには厚かましくも、『バイトさせてください』と頼むと、これまた二つ返事でOK。ええっ、いーのかなぁ?そんな簡単に決めちゃって まあ、自分は大変助かりましたけど。

 というわけで、(今後ユースが倒産しなければ)最後の宮仕えが始まりました。部署はフロントということで、十勝川のホテルでもやったことがあるから、仕事的には馴染みのあるところで安心して働きはじめました。フロントの仕事なので、朝と夕方は忙しいけど、昼間にゆっくり休みがもらえるので、その間に大工さんと打ち合わせしたり、お金を借りる算段をつけたりと、いろんなことをやっていました。結構時間的には忙しかったはずだけど、気持ちが乗っているので苦にならないどころか楽しかったですね
 そのうち現ガイドセンター代表の河田さんに頼まれ(脅され?)て、ネイチャーウォッチングという自然観察ツアーのガイドまでやらされる始末。もう何が何だか分からなくなりながら、夏が過ぎて行きました。


aimee-hoku-mahina (2010年07月05日 17時54分)
素敵ぃぃぃ〜o(*≧д≦)o〃
何て素敵な人生なんでしょう☆

せんべぇ(2010年07月05日 23時26分)
え~、なんか勘違いしてるよ~、aimee-hoku-mahinaさん。
なんとなく運に恵まれて、ここまで来ただけなんですよ。だから、そんな風に書かれると恥ずかしい

aimee-hoku-mahina (2010年07月07日 23時35分)
運に恵まれた、人に恵まれただけでも素敵な人生じゃないですかっ!

せんべぇ(2010年07月08日 23時53分)
その通りかもしれませんねぇ。このまま何とか無事に老後を迎えたいものです。

全然OKです

 間に立ってくれた所有者のご親族のTさんから、『民宿谷崎』を譲ってもいいというお話をいただき、まずは一緒に建物をのぞかせてもらうことにしました。

 『結構痛んでるよ~』
 『全然OKです』
 『ここはカーペットの下の畳腐ってるね』
 『全然OKです』
 『去年の秋、屋根が一部壊れてね』
 『全然OKです』
 『この部分なんだけど‥』

 『全然‥‥‥‥、OKです』

 というような状況ですが、こっちはお金がない立場、ハナから立派な建物なんかもらえるとは思っていません。むしろTさんが凄く気を使ってくれるのが申し訳ないくらいで、結局建物はタダ、土地代として良心的な金額を提示してもらいました。もうこの辺から冷静に損得やリスクを考えるのはいったん停止して、行けるところまで突っ走ることにしました。
 せっかく入った居酒屋『蔵』さんも、わずか3カ月で退職。蔵さんにはホントご迷惑をおかけしたと思います。そして5月には土地の売買契約を済ませました。(と思います。すいません、記憶が…) 同じころ、糠平舘の社長さんに声をかけていただき、旅館組合の懇親会に出させてもらい、同業者の皆様にご挨拶。←これ、すげー緊張した

 そして改装工事をしてくれる大工さんを探しはじめます。しかし、最初は皆さんやる気満々なのですが、現地を見るとなぜか(笑)腰が引ける状況。やはり上の画像ではねぇ そんな中、ようやく4件目に話した『熊倉組』の社長さんが(たぶん同情して)引き受けてくれることになりました。そして他の段取りもある程度めどがついたので、1996年の7月に上士幌町糠平へ引っ越してきました。


がちゃ@東京 (2010年07月03日 18時07分)
ふぅ~む。話には聞いていたけれど、
ホントにすごかったんですネェ。。。

このお部屋に何泊したかなぁ。。。。

せんべぇ(2010年07月03日 22時38分)
このお部屋(キタキツネ)ねぇ(笑) ほんといつ崩れるかとひやひやしながら商売していました
何とか切り抜けられて良かった、というのが偽らざる本音で~す。

『民宿 谷崎』ふたたび

 早めの進行で行くはずだったこのコーナー、気がつけば6月末になってもまだ終わらん 他のブログより書くのに時間がかかるので早く終わらせたいなぁ‥‥ ということで、続きです。
 民宿谷崎さんを譲ってもらう計画は頓挫しましたが、せっかく上士幌の人と“細ーーーーい”お繋がりができたので、それからも仕事の休みの時など、『良い情報がないか?』『せんべぇを忘れないでね』という魂胆で役場へお伺いしてました。

 また『ランチョ・エルパソ』の方は働いて3年近くが過ぎ、定番メニューはだいたい作らせてもらえるようにもなりました。自分は民宿をやりたかったので、洋食を極めて行くというよりは、ある程度何でも作れる方が将来の役に立つだろうということで、そろそろ違うお店で勉強しなおす時期に感じておりました。そこで1996年の3月から、音更町木野の海鮮居酒屋『蔵』さん(ハピオの中のお店です)で働くことになりました。

 でもって、和食的なことをまた一から覚え始めた矢先、一度はあきらめかけた『民宿谷崎』の建物を“売ってもいい”というお話が これは、ついに砂漠のノミ(6/6のブログを見てね)にもチャンスが回ってきたのかと、我ながらかなりテンションが上がってまいりました。


aimee-hoku-mahina (2010年07月01日 01時08分)
人生って凄いですね。人の思いって凄いですね。
だって、26の時からですよね?
凄いなぁ…今の私も26だけど…最近色々先を考えたりもしてますが…ほど通し(*/з\*)

せんべぇ(2010年07月01日 23時31分)
ぜんぜん凄くないですよ~。『なんか運良く進んできて、気がつけばえらく遠いとこまで来たね~』って感じです。
確かに最初の会社を辞めた26歳のときには、20年後にこんなことになるとは想像できなかったけど。でも、振り返ってみると20代後半から30代は元気があっていろいろ楽しかったです。aimee-hoku-mahinaさんも、きっとこれからもっと人生楽しくなるよ。

芋づる式

 さっき『かみしほろん』のトップページを見たら、アクセスランキングで1位になってました “不動のTOP”iscatさまがお店休んでお出かけ中の隙を縫って、ちゃっかり追い越してしまったようです。まあこんなこともあるんですね

 さて、帯広で手詰まり感を抱えながら毎日フライパンを振り回していたせんべぇですが、これを見かねたのかエルパソのホールマネージャーO氏が、『上士幌の農家さん紹介してやっか?』とおっしゃってくれました ここでためらう理由は何もないので、『お願いします』ということで、萩ケ岡の酪農家Fさんちに伺ったのが、1995年の秋です。Fさんから民宿やるなら糠平かなぁ?ということで、糠平舘観光ホテルの社長を紹介してもらい、お話をしがてら、なんかいい物件はないかな?と糠平温泉街を歩きまわって見つけたのがコレ↓

おおっ なんか“民宿谷崎”って書いてあるぞ。

 少し(笑)くたびれていましたが、大きさ的には手ごろな感じです。しかも宿屋として作られているので改造の手間も少なくてすみそう。ということで、この建物を狙ってみることにしました。糠平舘の社長から、役場の商工観光課長を紹介してもらい、役場へ行くと課長がいろんな人に声かけてくれて、こんなどこの馬の骨とも分からん奴の話を聞いていただきました。そして、ようやく所有者の親族の方まで辿り着くことができました。まさに芋づるを伝うような展開。どこで切れてもおかしくなかったけど、何とかなったのは、ホント間に立ってくれた皆様のおかげです

 但しこの時は、正式な所有者の方に売る気がないとのことで、残念ながら頓挫してしまいました

手詰まり

 『ランチョ・エルパソ』さんで働き始めて2年ぐらいたったころから、そろそろ開業する場所とかを考え始めました。とは言っても先立つお金はあまりないので、古い建物をリフォームしてやることを想定していました。また場所も最初はかなり限定していましたが、だんだん富良野より東で、釧網本線より西、とかなり大雑把になってきました
 お休みの日に車で走りながら『いいところないかなぁ』と探してはいましたが、なかなか思うような空き家は見つかりません またお金も貯めてはいたけど、このままのペースでは目標額に達するにはおじいさんになってしまう状況 

 宿屋をやろうと決めた時からうすうす感じていたけど、①宿の仕事を覚える。②お金をためる。③いい物件を見つけるという3つのことを同時進行してゆくと、どうしてもある無理が露呈してきた感じでした。 
 現状と開業との間を結ぶ道筋が見えない、というか断絶が大きすぎて、どうしようと考えるんだけど、いい案が浮かぶわけもなく、頭の中で同じところをぐるぐる回っている状態で、この頃は月に一度くらい夜眠れなくなりました それがまた嫌でもないんですね なんていうか、『俺、悩んでいるなぁ』と少し上から他人事で眺めている感じの自分がいて、それが不思議と嬉しかったりして‥‥

 そんなのんきなことでどうすんだって言われそうですが、今振り返ってみてもあのころが一番楽しかったのは事実です。