そんなわけで凄く気になっていた、『休学して水俣に行ったことは世間的にどうよ?』ということを確かめるために、最初に内定が出そう会社の担当者の方に『住民運動みたいなところに1年ボランティアしました』と言ってみると‥‥
以後一切の連絡なし
 うーん、分かりました。以後この話は一切言いますまい
 という方針で、何とか全国酪農業協同組合連合会という、舌を噛みそうに長いところへもぐりこめました
 牛のえさを作ったり、牛乳を作っている農業団体なので、十勝の酪農家さんなら名前ぐらいご存知かなぁ???
最初の1年間は宮城県の石巻にある飼料工場にいて、2,3年目は千葉の営業所で牛乳・乳製品をスーパーに売る営業をやっていました。その間に応援で営業事務のようなことをやったりと、3年間で製造・営業・事務と会社の主なところを見せてもらいました。ちょうど平成になったころで、まさにバブル。プリンとか売り込んでも、3個100円の安売り用よりもちょっと高い方が売れちゃうという、不思議な時代でした。しかも千葉県という人口が増加しているエリアが担当だったので、俺の営業能力なんか関係なく、対前年比でプラスになってしまうという所にいたもんだから、まったく“のほほん”としたサラリーマンでしたね。
 最初は、このまま平穏に定年まで働くつもりで入社したんだけどなぁ。3年目になると生意気にも、だいたい会社の雰囲気、というより、会社員として生きて行くのはどういうことか、ということを分かった気になって、それより自分で何か始めたくなりました。周りを見回しても学生時代の友人の何人かが転職していて、しかもみんな最初の会社より待遇が良くなっている
 『やるなら今かな』という気分で俺もやめちゃいました。
あ~、すいません今回は、文字ばっかりで‥‥

 とっても気持ちのいい日になりました。

今日は空の青さに違和感を感じるくらい晴天でしたね。



』という感じで、正直ビクビクしながら行きました。
 う~ん、お金にならない事業だったからかなぁ‥‥
 と、えばってみる(笑)
』と勝手に拡大解釈。一年休学して参加してみることにしました。
 と間違いなく思ったね、私の両親は。それでも、言い出したら聞かない子供で諦めたのか、許してもらい、さらには休学中の学費まで負担させてしまいました… 
、遠くからメールでこそっと、謝っておきます。
』と思ったアナタ。お気持ちはモノや形で表していただけると嬉しい男ですので、よろしく~

 鉄道旅行なら、ほとんどの場合時刻表で組んだ通りに行程を進めますが、チャリだと天気が悪かったり、思ったより峠がきつかったり、何より俺のやる気が出なかったり