水俣市街とチッソ水俣工場
10日の研修を受けた後、4月下旬に水俣市へ。派遣先の相思社は、水俣病の患者さんを支援するために作られた団体で、自分はそこに住み込みながら、資料館を作る準備を手伝うということになっていました。とはいっても、水俣病のことなんか何も知らない俺は、役に立つんだろうか?それ以前に『ちょっとそういう“住民運動的”なところって、コワいんですけど』という感じで、正直ビクビクしながら行きました。
生まれて初めて海のそばで暮しました。下図参照
ここでの一年弱は、今まで、そしてその後も体験したことのない時間でした。ちょっと違いすぎる世界だったので、自分を見失うのが怖くて、最初は少し引いた感じで活動していました。が、それでもたくさんのことが押し寄せて来て、水俣にいる間には自分の中で消化しきれなかったし、いまでも自分の中に、この時に見たり感じたことがゴロンと塊になって残っている感じです。多分一生かかっても消化しきれないでしょう。
確実に言えることは、もしこの時の体験がなければ、その後脱サラして宿をやろう、なんてことは間違っても思わなかったでしょう。また、この時ボランティアの同期だった人たち(派遣された先はみんな別々ですが)の何人かとは、今でも年賀状のやり取りをしたり、たまに会うこともあります。
そういう意味で、私にとっては貴重な一年間でした。
一年間ボランティアについては、去年5月15日のブログで紹介してました。良かったらこちらも読んでね。ちなみに、この企画を主宰していた(社)日本青年奉仕協会は、去年の6月に自己破産してしまいました う~ん、お金にならない事業だったからかなぁ‥‥
- がちゃ@東京 (2010年05月29日 22時57分)
- そういえば、YHの踊り場に募集のポスターがありましたネェ。
最初のころだけかなぁ。。。
年輪のいかない僕には”参加できないやぁ”
と、思ってみていたのを思い出します(^_^)しかし、重い内容のところで働いていたんですネェ。。。
- せんべぇ(2010年05月30日 00時17分)
- あ~、1回だけ『一年間ボランティア募集』のポスター張ったことがありました。良く覚えているねぇ~。
こういう経験をしたからこそ、今の人間的に厚みのあるワタクシができておるのですよ と、えばってみる(笑)
でも、水俣では本当に貴重な体験をさせてもらいました。(マジ)