久しぶりの一人旅 その⑤

4/23のブログの続きです。

旅の4日目は、帰りの始まりです。
鹿児島空港に向かって車を走らせていると、視界の端にアーチ橋が!

鹿児島県さつま町の「穴川橋」という石造りの3連アーチ橋でした。
鹿児島でも現存する3連アーチ橋は、この橋を含め3橋だけだそうです。

それにしても、アーチ橋を見かけると立ち止まってしまうのは、もはや職業病でしょうか(^^;

この日は飛行機で関東へ戻り、午後から弟と一緒に両親の墓参りしてきました。
そして夕食は、

埼玉県民のソウルフードとして有名な?山田うどんで「まるごと山田セット」を食しました。あ~、懐かしいお味

旅の最終日は夕方の飛行機まで予定を決めずに旅に出ました。こんな気ままな旅も、一人ならではの贅沢です。

で、結局は電車に乗って遊んでおりました。(笑)

目的地は、有名なローカル鉄道?銚子電鉄。
全長7㎞にも満たない小さな私鉄で、ぬれ煎餅を売ったり、YouTubeをやったりと、なりふり構わない感じが俺は好きな会社です。

この日の電車も、

車内がカオス(笑)
なんかのアニメとコラボしてるみたいだけど、ここまでやるのかぁ‥
すごいねぇ。

おせんべいと言えば草加せんべい。硬くてパリッとした醬油味。
と信じて疑わないワタクシには、わざわざしっとりさせるなんて邪道も邪道だと思うけど…
気の毒になってきて、ぬれ煎餅3袋買ってしまいました~。

頑張っていつまでも走ってほしいです、銚子電鉄!

ということで、4泊5日の一人旅は終了しました。
ここまで長々とお読みいただき。ありがとうございます。

久しぶりの一人旅 その④

4/22のブログの続きです。


水俣市明神の畑と不知火海。
工業都市のイメージを持つ方もいると思いますが、自然の豊かな場所ですよ。それだけに水俣病の事が切ない…

翌日はボランティア時代に一番お世話になった吉永さんに、一日遊んでもらいました。
直接お会いするのは30数年ぶりなので、オレ的にはちょっと感動のご対面になるかな?涙ぐんじゃったらどうしよう?
と、少し緊張しておりました。

が、
(選挙のお手伝いしているみたいで)会っていきなり「おい、票はねぇのか?」とかまされたww
あ~、この感じが吉永さん

お客さんやヘルパーさんから「ちょこちょこ毒を吐く」とか「ブラックペアレント」と呼ばれるワタクシですが、その原点がここにありました(笑)

この日は、自分がいた頃は無かった市立水俣病資料館を案内していただき、その後は埋め立て地の慰霊碑や市内を案内していただきました。

変わったところ、変わってないところ、様々でした。

午後は温泉入りたい!海が見たい!というわがままな希望を叶えるため、わざわざ鹿児島県の温泉まで連れいていってくださいました。


長島温泉センター 椿の湯
露天風呂から東シナ海を眺められる、山に住んでる私には最高な気分の温泉。

道中、自分が去った後の水俣の話しや関わった人たちのその後、観光業に対するオレの愚痴などなど‥いろいろおしゃべりすることが出来ました。
なかでも、『新幹線が出来て第3セクターになった水俣駅の業務を請け負ったら、開業初日にマニアが来て大変だった』というのは、ご苦労が想像できちゃう

夕方には、現水俣病センター相思社のスタッフさんに『水俣での経験とその影響』みたいなことを聞かれました。当時の出来事や感じたこと、「あの経験が無ければ宿はやってない」などを話しているうちに、自分にとっての水俣とは何だったのかを改めて考えさせられました。自分の事を話すのは、怖いねぇ(苦笑)Kさん、”支援者”として水俣に来た人たちにインタビューして記録の残しておいたら、面白いと思うよ。

そして最後に、吉永さんのご自宅でおいし晩ご飯をごちそうになり、『自分が死ぬ前にお世話になった人にご挨拶する、終活の旅・第一弾』という主な目的が果たせて充実感でいっぱい。

それにしてもお魚美味しかった。
マイルがたまったら、また伺いたいで~す!

久しぶりの一人旅 その③

4/20のブログの続きです。

鹿児島県北部で観光した後は、熊本県南部の水俣市へ。

甘夏ミカン(最近はデコポン)の産地として有名な地域で、自分にとっては学生時代にボランティアとして、約一年間過ごした土地です。
2010年5月27日のブログ

その当時お世話になった人たちに会うというのが、今回の旅の主な目的でした。


お世話になっていた、水俣病センター相思社
当時のスタッフの方はもういないけど、畑の向こうに広がる不知火海と天草の島々の眺めは、ほとんど変わっていない(気がする)

住んでいた部屋もまだ残っていて、ビックリです。

部屋の中に大きなクモが住んでいて、さすが南国!と実感したり、柴門ふみの漫画がを読んだり、といろんなことを思い出しました。

この建物の裏側に『水俣病歴史考証館』という、水俣の暮らしと水俣病についての資料館があります。
ワタクシはこの資料館を作るための資料整理等のボランティア、という名目で一年遊んでた💦

ちょうど大学の先生と学生さんっぽい人が来ていたので、資料館スタッフから一緒に丁寧な説明をしてもらいました。

その後、当時も何度か訪れた湯の鶴温泉

湯出川にそって小さな温泉街が広がっています。
2か所で日帰り入浴を楽しんで、街を散策してきました。

この前後に、当時相思社スタッフだった人たちと2か所でお会いすることが出来ました。
1か所目は相思社に行く前に、そして夜は2か所目、甘夏ミカン関係の販売をやっている『ガイアみなまた』にお邪魔してキビナゴなどのお刺身や手作りのご飯をごちそうになりながら、いろいろな話をさせてもらい楽しいひと時。
直接お会いするのはユースを始めた年に糠平まで来てくれて以来だから、四半世紀はたっているのに、顔を見たらすぐどなたかわかりました。大人になると、外見は意外と変わらないものだねぇ(笑)

皆さん変わらずお元気で良かったです。

 

久しぶりの一人旅 その②

4/19のブログの続きです。

羽田空港に泊まった翌朝は、もちろん飛行機に乗って西へ。

小学校から地図帳を見るのが好きだった俺には、飛行機から見下ろす風景が大好きです。特にいつもと違う空路なら、なおさら楽しい

まるで子供のように窓に張り付くこと約1時間半、鹿児島空港に着陸しました。
空港でレンタカーを借り、向かった先は

曽木の滝
滝の幅210m、落差12m。
その様相から「東洋のナイアガラ」と呼ばれている滝です。
ちなみに写っている左側にも水が流れています。

北海道は、雪解け水の流れる春先が一番水量が多くて滝の見ごろだけど、残念ながら南国・鹿児島は梅雨から夏にかけてが水量の多くて迫力ある時期らしい‥
それでもなかなかの迫力でした。

川の右岸には昔発電所があって、そこへ水を引く水路の遺構が残っていました。

素掘りのトンネルと石組みの水路跡が続く、ちょっと不思議な空間です。
そして一番奥には石で組んだ丸い穴が開いていました。さすが九州、“肥後の石工”という話を思い出しました。
これが曽木第一発電所の施設跡と言われているものです。

そしてこの滝の下流、鶴田ダムの中には、

レンガ造りの廃墟が半分湖に沈んでいます。
こちらは曽木第二発電所の発電施設だった建物で、2021年7月の豪雨までは、画像中央部にもレンガの壁が残っていたそうです。
う~ん、残っているときに見たかったなぁ😿

つまりに何が言いたいかというと‥
「タウシュベツ川橋梁もいつかは壊れるから、早く見に来ましょうついでにうちに泊まりましょう』ということです(笑)

曽木の滝周辺を楽しんだ後は、伊佐市に移動して”また”鉄道ファンとして廃線跡巡り活動。


旧国鉄山野線の薩摩布計駅跡。
北海道に住んでいる身には信じられないような狭い県道を走り、何とかたどり着きました。
ここは昔鉄道に乗って一回、50ccのバイクで一回来たことがあったけど、かつての様子は思い出せません。さすがに月日が経ちすぎたか‥

予定ではそのまま山野線に沿って峠越えをするつもりでしたが、災害で通行止め。仕方なく今来た道を戻り国道268号線を使って熊本県へ。

続く‥

久しぶりの一人旅 その①

4/12から久しぶりに一人旅をしてきました。
旅のきっかけは、コロナで出掛けることが無くなりJALのマイルが期限切れになりそうになった事(^^;
いやぁ、3年もじっとしてるとマイルもたまるねぇ。

まずは飛行機で東京に出て、宿で使っている食器の補充にかっぱ橋の道具街へ。


10数年ぶりに、コックのおじさんに会いました。

かっぱ橋、久しぶりに行ったらお店が結構変わりましたね。
やたら包丁を売る店が増えていました。海外の方が増えていたので、そちら向けにシフトしてきているんでしょうか?

目的の食器は手に入って時間が余ったので、以前から”うっすらと”行ってみたかった、

東武博物館
ここは故郷を走る東武鉄道さんの古い車両が展示されていたり、鉄道模型や歴史の紹介がされている鉄道博物館です。
入館料:大人210円(PASMOとかなら200円)
↑安すぎだと思う。

それにしても、
俺に余った時間を与えると、すぐに鉄道寄りに行動してしまうなぁ
電車の運転体験ができるコーナーがもあり、やってみたかったけどお子さんの間に並ぶのが恥ずかしくて、参加できず。今度は娘をダシに使って体験したいですw

そしてこの日の宿泊は、

羽田空港の中にある、カプセルホテルみたいなお宿。
極限まで効率化されたお部屋は、ある意味楽しかったです。

という訳でお仕事がらみの行動は終わり、ここから旅の始まりです。

旅してきたら‥

4/12から4泊5日の一人旅をしてきました。
まとまった長さの一人旅って、子供が生まれてから初めてのような気がするから、およそ20年ぶりかぁ‥

と余韻に浸りつつ、ぬかびら温泉まで戻ってきたら、


ここだけ雪が積もっていました(笑)
これぞ糠平!

旅の事については改めてブログに書きたいと思いま~す。
ヒマだかんね。

#糖平

昨日のブログの続きです。

うちのInstagramを見ていただいた方、付けられているハッシュタグの中に「糖平」ってあるのを気づきましたか?「とうびら」と読みます。
これは地名が上士幌町糠平だったころ、郵便物のあて名の3分の1ぐらいが「糠平」ではなく「糖平」と書かれていたことに由来します。
当時はそれを逆手にとって、談話室に「糖平情報ノート」なんていうのを置いてました。(詳しくはぬかびら便り2002年10月号を読んでね)

そんな事を冬ヘルパー小野くんが面白がって、『Instagramのハッシュタグに糖平は入れましょう!』というもんだから、入れてみた。


20年前のヘルパー・ほっしー&りょう君、現在の大学生にも「糖平」は受けてたよ(笑)

ちなみにInstagramでぬかびら関係のハッシュタグを検索すると、「ぬかびら温泉郷」というのが意外に出てきます。
う~ん、温泉郷じゃなくって、源泉郷なんだけどなぁ‥
糠平を糖平と読み間違えられる時代から、源泉郷を温泉郷と読み間違えられる時代へ。
20年の時を経ても、知名度のなさだけは変わらないようです😿

そんなわけで?ユースの皆さんがインスタ上げるときは「#糖平」って混ぜてほしいなぁ。ぬかびら温泉郷の投稿が現時点で342件なので、まずはそれを抜かしたい