4/20のブログの続きです。
鹿児島県北部で観光した後は、熊本県南部の水俣市へ。
甘夏ミカン(最近はデコポン)の産地として有名な地域で、自分にとっては学生時代にボランティアとして、約一年間過ごした土地です。
(2010年5月27日のブログ)
その当時お世話になった人たちに会うというのが、今回の旅の主な目的でした。
お世話になっていた、水俣病センター相思社
当時のスタッフの方はもういないけど、畑の向こうに広がる不知火海と天草の島々の眺めは、ほとんど変わっていない(気がする)
住んでいた部屋もまだ残っていて、ビックリです。
部屋の中に大きなクモが住んでいて、さすが南国!と実感したり、柴門ふみの漫画がを読んだり、といろんなことを思い出しました。
この建物の裏側に『水俣病歴史考証館』という、水俣の暮らしと水俣病についての資料館があります。
ワタクシはこの資料館を作るための資料整理等のボランティア、という名目で一年遊んでた💦
ちょうど大学の先生と学生さんっぽい人が来ていたので、資料館スタッフから一緒に丁寧な説明をしてもらいました。
その後、当時も何度か訪れた湯の鶴温泉へ
湯出川にそって小さな温泉街が広がっています。
2か所で日帰り入浴を楽しんで、街を散策してきました。
この前後に、当時相思社スタッフだった人たちと2か所でお会いすることが出来ました。
1か所目は相思社に行く前に、そして夜は2か所目、甘夏ミカン関係の販売をやっている『ガイアみなまた』にお邪魔してキビナゴなどのお刺身や手作りのご飯をごちそうになりながら、いろいろな話をさせてもらい楽しいひと時。
直接お会いするのはユースを始めた年に糠平まで来てくれて以来だから、四半世紀はたっているのに、顔を見たらすぐどなたかわかりました。大人になると、外見は意外と変わらないものだねぇ(笑)
皆さん変わらずお元気で良かったです。
温故知新の旅ですね。興味深いな。
出かける前は、俺が死ぬ前にお世話になった人たちに挨拶をしておこうという『終活の旅 第一弾』って気持ちでした。
が、会ってお話しているうちにいろいろ刺激を受けました。
まさに温故知新ですね。
お気持ち、お察しします。同感。
ケンシロウさんも、沖縄の派遣先に挨拶に行ってみてはいかがでしょう。
面白かったですよ~。